悲しみの奥にある罪悪感

こんにちは、きょうこです。

今年、10数年一緒に暮らしていた愛犬とおわかれしました。

天国というものがあるのなら、多分そこにいるんだろうな~と思ってます。

もう、おばあちゃんと呼べる年になっていましたが、

私の中では、あと2年くらいは一緒にいると勝手に思っていました。

でも、

突然調子が悪くなり、検査でも原因がなかなか特定できず、その結果、治療が遅くなってしまいました。

必死になって看病し、ドクターも今できる最善の方法を常にとってくださっていましたが

それも叶わず逝ってしまいました。

犬を飼うのはこれが初めてではなく、子供の頃からずっと家には犬がいる環境でしたが、

小さい頃は、やっぱりたいしてお世話もせず(ほとんど母親まかせ・・)

昔はたいてい外犬(そといぬ)でしたから、いつも庭の木のそばやなんかに繋がれていました。

(ポチとかシロとかそういう名前がの雑種のわんこです・・・。)

その頃は、犬が死んだときも母親が知らない間にお墓を作ってあげていて、

子供だったわたしは、悲しいのは、悲しいんですが、悲しみも浅い感じで

すぐに日常にもどって元気に遊んでいました。

ところが、今回は違いました。

ほんとに生まれてすぐに我が家にやってきた愛犬は、家の中で

人の赤ちゃんのようにミルクをやり、離乳食をあげ、遊んであげて育てました。

とても怖がりだったため、お散歩もできなかったのをトレーニングして

やっとお散歩できるようになったり、私の携帯が鳴る前にいつも”ワンワン”と教えてくれたりして、

振り向くといつも私を目で追いかけていて、幼児のような存在でした。

家に帰ると誰よりも先に”お帰り”を言いに走ってきてくれる(そんなことしてくれるの愛犬だけ・・・)

躾もそれほどしなかったのですが、1度言い聞かせると

きちんとそれを守ってくれるような勘の良い子でした。

寝転んでいると、傍にくっついてきて、ちょっとうっとうしい時もありますが、

それはそれで人なつこくて、実際は、本当に日々癒されてたんだと思います。

だから、

病気が悪化しても、ずっと苦しみに耐え、

文句も言わず(言えませんが)頑張ってくれている姿を見ていると、辛いのなんのって・・・。

症状が悪化していく中で私は、

”もっと早く病気に気がついていれば”とか、

”なぜ検査でもっと早くわからなかったの?”とか、

”そもそも話せないんだから、普段からもっと気づいてあげなよ!!”とか

自分を責める気持ちやら、後悔やら、罪悪感で感情がいっぱいになりました。

そんな時には、周りがなぐさめで

「ペットとはそういうもんだから」とか

「これは、悲しみを体験するためにそうなったのよ~」とか

「まあ、十数年生きたから寿命だよ」とかいうんですよ。

そんなこと言われても、

悲しいんですよ~!!( ;∀;)。

悲しい気持ちはちっとも減ったりしないんですよね。(むしろ怒りがこみ上げます(笑)

ただ、ただ、いつものお散歩道を歩くだけで、涙があふれてきます。

いなくなってしばらくは、何をしてもダメでした。

そのあと、その悲しみや罪悪感やら入り混じった感情を量子場で調整してもらいました。

調整中は、不思議な感じで、自然と涙がサラサラ?いやコロコロと転がって出てきました。

感情を伴わない感じの水玉みたいなコロコロした水です。

それで、どうなったか・・・・・?

それからは、

愛犬とのお散歩道を歩いても、

胸が締め付けられるような息苦しい寂しさは以前ほどは、出てこなくなり、

一緒に散歩した楽しかった思い出に変換された感じがします。

記憶がなくなるわけであhありませんが、くっついてる感情の質が変わったのかな?

罪悪感で自分を責めがちな人は、頭でそれをやめようとしても

なかなかそこに感情が絡まっているので、とれなくて、ややこしいことになっていると思います。

私は、調整することで、愛犬に対する罪悪感とか悲しみに、

どうやら少しはうまくサヨナラできたみたいです。

現実をどうとらえるかは自分の自由です。

”ポジテイブにいこう!”

そう思ってもなかなかうまくいかない時は、

量子の世界から潜在意識にアプローチすると無意識が変わります。

愛犬との10数年の日々は、笑顔で思い出したいですから~❤